愛知県新城市鳳来寺山表参道 名倉鳳山の硯(すずり)の店

 −鳳来寺硯の発祥−

鳳来寺山の硯には1300年の歴史があると伝えられています。硯は鳳来寺の歴史と共に在りました。山内には僧坊が建ち修行僧たちの暮らしがありました。また武家の子供は勉強のため寺に預けられました。寺は学問の場であり故に硯の需要もありました。特に金鳳石は、江戸時代の文献『和漢研譜』にも記された上質の硯です。鳳来寺薬師如来は古より広く信仰され、徳川家康の両親も寺に隠り祈祷、めでたく家康が誕生しました。そのため、江戸時代には幕府直轄地1350石の寺領として非常に栄え、街道には宿屋、芝居小屋が並び、土産硯を作り商う者たちがありましたところが幕府瓦解により寺は衰退。僧侶は離散。参拝者は激減し硯作りも途絶えました。

明治20年代(1887年頃)教育用硯等の需要増加に伴い山梨から職人が石材を求めて移住。村人に技術を伝え、新しい鉱脈で金鳳石の硯作りが再開されました。当家鳳鳴堂の歴史が始まりました。


昭和初期頃の三代目の作業風景。ノミを肩に当てて彫る伝統姿勢。ノミの写真はページ背景にある(用途によって使い分ける)。 

−三代鳳山(1900〜1963)金鳳石(寺林硯)の復活−

三代目鳳山は若くして、当時の金鳳石の材質が古文献にあるものと違うのではないかと疑問を抱き、その本質の物を探すべく努力をしました。 苦労の末、やっと当時の長篠村・寺林地区の共有山内に採掘坑のあることを突き止めました。早速、長篠村と契約を結び、10年間の採石ができるように成り、古文書に名石と詠われた金鳳石硯の再現に成功したのでした。大正11年のことです

 それまで門谷地内で採取し金鳳石と呼んでいた縞模様のものには、鳳来寺の本名が煙巌山鳳来寺ということから、新たに「煙巌石硯」と名付けました。

それからは金鳳石(黄鉄鉱微細結晶が見られる)・鳳鳴石(黒)・煙巌石(茶色縞模 様)という三種類の石材に分類するようになりました。

 

鳳来寺硯三種類の石材 

初代〜三代の作品


日本伝統工芸展・三軌展等で積極的に作品を発表。鳳来寺硯はマスコミでも紹介されるようになった。 昭和50年代の作硯風景

四代鳳山 (1922〜1998) 日本の硯の研究−

卓越した硯刻技法を駆使して現代風の形を追及しました。

また、30数年をかけて『和漢研譜 寛政9年刊行』に載っている日本中の産地を旅して取材。日本人硯刻家として初めて研究書「日本の硯」を著しました。

その後は、朝鮮・中国の硯についても研究を続けておりましたが、こころざし半ばで逝去しました。

四代の作品は、雨畑硯産地である山梨県早川町の展示施設、広島県熊野町の筆の展示施設へ収蔵されている他、静岡県磐田市シルクロードミュージアム(和硯コーナー)展示されています。 

        

プロフィール    四代鳳山のギャラリー           


平成の鳳山(五代目)

五代名倉鳳山(1953〜)硯を芸術の領域へ−

愛知県立旭丘高校美術科・東京藝術大学美術学部彫刻科で立体造形の基礎を学び、卒業と同時に父四代鳳山に師事。伝統的硯刻技法と文化を幅広く習得しました。わざの練磨・向上に努め、昭和50年代半ば以降、公募展・個展で積極的に作品を発表。1300年の和硯制作の歴史に創造の道を切り拓いてきました。

平成9年、第44回日本伝統工芸展 本展で日本工芸会奨励賞を受賞。硯の分野で初の受賞であり、その作品は日本の硯の歴史上初めて文化庁買い上げ(東京国立博物館蔵)となりました。

機能美とも美術品の美とも異なる新鮮さと美しさが宿る硯。「書の道具」から美術工芸品へ、更に唐様式ではない和様式の新しい文化・芸術の領域へと引き上げるべく創作の道を歩み続けています。

また、四代の著書「日本の硯」や当家収蔵の硯専門書を元に、作硯者の立場で石材研究を進め、中国端渓石・歙州石での作硯も積極的に行っています。 

                                     

 

 

  

 

 

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